1945年2月19日に米軍は硫黄島(いおうとう)に侵攻し、36日間の死闘の末
日本軍20,983人、米軍25,851人の総犠牲者数を出し、戦いは終りました。

この写真はジョー・ローゼンタールが撮影し一躍有名になり・・・
『硫黄島の星条旗』でピューリッツァー賞を受賞しました。
しかし、戦いが終った3月25日以降も、日本軍は降伏せずに洞窟の中にいました。
米軍は「戦いは終った。捕虜にはしないから、出てきたらどうか」と呼びかけチョコレート、缶詰、煙草などを投げていったそうです。
しかし浅田小隊は降伏には応じませんでした。そして・・・
浅田中尉は下記の遺書を地下壕の入り口の木にくくりつけました。
『閣下の私達に対するご親切の御好意、誠に感謝、感謝に絶えません。
閣下より頂きました煙草も肉の缶詰も皆で有り難く頂戴いたしました。
お勧めによる降伏の義は、日本武士道の習いとして応ずる事は出来ません。
もはや、水もなく食もなければ十三日午後四時を期して、全員自決して天国へ参ります。
終わりに貴軍の武運長久を祈って筆を止めます。
昭和二十五年五月十三日
日本陸軍中尉 浅田真二
米軍司令官スプルアンス少将殿』
この遺書を残し・・・浅田中尉は亀田軍曹ら六名とともに手榴弾三発をもって自決いたしました。
戦後、スプルアンス提督はアメリカ各地を講演した時に、日本人を次のように讃えたと伝えられています。
『日本人は生死の境にあっても気力と勇気に満ち、困難に当っても損得の計算をせず、祖国の為に殉ずる。
東洋的な礼儀と武士道を最後まで失わなかった。
あのような青年がいる限り、日本はやがて世界から尊敬される国になるに違いない。』
また、大学の講演では
『アメリカの青年たちよ。東洋には、素晴しい国がある。それは日本だ。
日本には君たちが想像もつかない立派な青年がいる。
ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。奮起しろ!』
このようにスプルアンス提督は日本の青年の勇敢さを語った。
浅田中尉は東京帝大卒業し硫黄島へ・・・遺書は日本語と英語で書かれていたそうです。
この国を思う立派な浅田中尉の話を・・・・・
管直人!!おまえは知っているのか!!!?
本当に、管直人は英霊の方々の名誉を汚しているとしか言いようがない。
おまえの醜い私利私欲と、その権力にしがみ付いている姿は・・・とても日本人とは思えない!!
恥を知れ!!