浜岡原発とヒロシマ②

ヒロシマの原爆は1945年8月6日 午前8時15分に高度570m付近で核爆発を起こし、約14万人の方が亡くなりました。

この時の状況を「康子十九歳戦渦の日記」という本で書かれています。

浜岡原発とヒロシマ②

「投下された原子爆弾は、目標地点より300mほどそれ、細工町20番地にあった島外科のほぼ上空570m地点で爆発した
その威力はすさまじく、瞬時に非戦闘員の市民4万人以上の生命が奪われ、爆心地から2キロ以内の建物を跡形も無く破壊しつくし、全市を阿鼻叫喚の地獄に陥いれた。
爆発と同時に直径100mもの火の玉ができ、中心の温度は推定1万2千度。太陽の表面の温度が、およそ6千度であることを考えると、太陽が落ちてきた・・という言い方も大袈裟ではなかった。
爆発地点の近くで閃光の直撃を受けた人間の肉体は、一瞬にして‘‘消滅‘‘した。文字通り影も形もなくなってしまったのである。」

以上のように書かれていました。
人間の肉体が、一瞬にして‘‘消滅‘‘する・・いかに、原子爆弾の威力が凄かったか・・・。

上空570mで核爆発を起したのですから、高濃度の放射線が広島市全体に降り注いだと思われます。
これにより、被曝され亡くなった方も多いと思われますが、明らかに福島原発事故とは状況が異なります。
福島は核爆発を起したわけではありませんし、日本の原発が核爆発を起す確立は殆ど無い。
広島でこのような状況ですので(前記事の人口推移をみても2年後には人口が増えている)福島原発の放射線被害は、政府が誘導してしまった風評被害ではないかと思います。

また、明日に書きます。

ちなみに、門田隆将著書の「康子十九歳戦渦の日記」は当時の広島市長、粟屋仙吉市長の次女であった康子さんの物語です。粟屋康子さんは母親の看病の為広島へ行き二次被曝され十九歳で亡くなりました。
大変良い本で、日本女性の素晴らしさ、日本人として忘れていた・・又は、無くしたものを取り戻してくれる良書です。
一度拝読されてみては如何でしょうか?


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