昭和の遺書 1

年間約三万人の自殺者が出る、この日本。

また、昭和の時代は世界で一番、遺書が書かれた時代でもあったでしょう。

色々と考えさせられる現在です。

私は66年前、当時19歳でこの遺書を書いた村田玉男二飛曹の事が忘れられません。


昭和の遺書 1



玉男最後の手紙

お母様、驚き遊ばされた事で御座いませう。長い長い年月、手しほにかけてお育てくださいまして

今日に到りましたが、何のご恩もお返しせず残念に存じます。お年を召されたお母様や、やさしい兄、

姉妹を思ひますれば、この決意も鈍りますが、なんのなんの畏れおほくも此のたびの聖戦にて数知れぬ

赤子を御奪われなされた陛下の御心に比しますれば、このくらいのこと、物の数では御座いますまい。

此の身は異国の海に果てようとも、泣かずにほめて下さい。

お母様玉男を思ひ出しました時は大空を御覧遊ばしませ。

そこにはきっと大空を飛べる飛行機の蔭に玉男の姿が見えるでせう。

最後にお願ひとしてお母様身体に無理なき様、長寿遊ばせ。

兄、姉妹よ老ひたる一人の母を玉男の分まで親孝行する様に・・・・・・

(玉男は死んだのではありません。姿は皆様の御前におらずとも、

必ず皆様の許におり、楽しき我が家をなき父、靖国の兄と共に見守っております)



村田玉男 二飛曹 
神風特攻・神雷第二建武隊
大正14年12月9日生まれ 19歳
昭和20年4月3日 南西諸島方面に於いて戦死


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