長崎事件と浜松事件

長崎事件と浜松事件と書きましたが正式には・・

「長崎警察署襲撃事件」と「浜松大紛争」・・・ですかね。

5月13日の金曜日・・・不吉な予感ですが、日本はあまり関係ないみたい(笑)

1946年5月13日に「長崎警察署襲撃事件」がおこりました。
どの様な事件かといいますと・・・。
戦後、長崎警察署は横行していた闇市を取り締まりを行い、日本人、朝鮮人、中国人を検挙したのですが・・・その直後、在日本朝鮮人連盟や中国人団体が長崎警察署に押しかけて釈放を要求、それを拒否した長崎警察署を、朝鮮人や中国人など総勢約200人がバッドや鉄棒を持って長崎警察署を包囲・襲撃した。

これは以前、書いた記事
朝鮮進駐軍の日本人殺害


長崎事件と浜松事件


と同じ頃です。

それと、同じ事が浜松でもあったことをご存知でしょうか?

それが、浜松大抗争といわれる事件です。

1948年(昭和23年)4月、戦後の朝鮮人の横暴で日本の闇市の殆どは朝鮮人に握られていたのですが、浜松の闇市は的屋の関東霊岸島桝屋一家分家(服部)がおさえていました。

在日朝鮮人は、在日本朝鮮人連盟の威光を背景に、地元の自治体警察である浜松市警察の介入を許さず、禁制品を公然と売り捌いていた。小野組の方は比較的合法な物品しか売っていなかったため、客足が奪われることになり、小野組は朝鮮人に反感をもっていた。
1948年3月には、浜松市警の巡査が賭博の現行犯で朝鮮人を逮捕しようとしたところ、返り討ちにあって負傷する事件が発生した。小野組は、その巡査を救出して近くの病院に収容、病院周辺を警護して朝鮮人の来襲を阻止するなど、一触即発の事態を迎えつつあった。

4月4日夕方、朝鮮人が小野組組長宅を襲撃したことで、朝鮮人・小野組・浜松市警の三つ巴の抗争が勃発した。
小野組は直ちに報復すべく会合を開いたが、朝鮮人はその会合場所を襲い銃撃した。浜松市警も抗争を鎮圧するために出動したが、朝鮮人は伝馬町交差点でこれを迎えうち、警察との間で銃撃戦となった。
5日以降の数日間の戦闘で死者数人・負傷者約300人を出した。
浜松市警は、岐阜軍政部にMPの出動を要請し、400人のMPが浜松に派遣されたことで漸く沈静化した。

この事件により、増長していた朝鮮人の評判は地に落ち、逆に小野組は浜松市民有志から50万円の見舞金が送られた。


ウィキペディアより掲載・・


このように、戦後の動乱期には朝鮮人が日本人の土地を略奪し、暴行、強姦を我物顔で行っていました。
特に駅前の一等地は完全に朝鮮人に略奪され・・・その結果、現在日本各地の駅前には朝鮮人が経営するパチンコ店が建ち並んでいるのです。

現在、パチンコ店の売上高は年間21兆円です。これは日本の税収40兆円の半分を超える金額です。
その21兆円の一部がブラックマネーとして北朝鮮に流れている事実を日本人は知るべきではないでしょうか。

日本人が北朝鮮に400人以上拉致されたと推測されるこの状況。
はたして日本は平和だといえるのでしょうか?


拉致事件は「日本国家の主権を侵された」と同じ・・その事を、よく考えてください。




色々書いているうちに・・・違う方向へ行ってしまいました。




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